■ ちんすこうについて

‘ちんすこう’と言う名前の由来には2つ説があります。 ‘ちん’は「珍」、‘すこう’は「お菓子」という意味で、 「大変珍しい貴重なお菓子」 という意味であると言う説、 ‘ちん’は「金」、‘すこう’は「お菓子」で、「とても高価な お菓子」という意味であると言う説の2つです。 どちらにしても貴重だったということのようです。 ちんすこうは、はじめ琉球王朝の王侯貴族だけしか食べることができない宮廷菓子でした。 一般人が、食べることができるようなお菓子では なかったので「ちんすこう」と命名されました。

大変珍しい貴重なお菓子
とても高価なお菓子
歴史上”ちんすこう”は、15世紀頃登場します。 当時の琉球王朝は日中両属だったため、 琉球の国王が交代するたびに中国皇帝から国王として承認を受けるべく冊封使が送られていたそうです。 冊封使が琉球に初めて送られてきたのは、1396年の北山王の時、もしくは1404年の武寧王の時とも言われていますが、どちらかは分かっていません。 琉球王国最後の王となった尚泰まで、中国王朝が明から清に変わっても絶えることなく、約500年近くもの間、中国から冊封使が送られていました。 約400人近い団体でやって来て、4ヶ月~6ヶ月も琉球に滞在していたと言われています。 この冊封使には様々な専門家が随行し、その中に菓子職人も常に随行していたため、中国菓子の製法などが琉球に伝えられたと言われています。

沖縄のお菓子は、確かに中国のお菓子にも似ています。 また、琉球は日本にも使節を送り、そこに琉球の菓子職人が随行しました。 日本菓子の製法を琉球に持ち帰り、中国菓子と日本菓子を融合をさせ、独自の琉球菓子を作り上げました。 当時のちんすこうは、今のスタイルとは全く異なるもので、ベースとなったのは祝事用の中国風蒸しカステラ 「チールンコウ」と言われています。 米の粉を蒸して砂糖とラードを加え、型に詰めて蒸し上げ作られていたそうです。 琉球王朝時代には、ちんすこうのこのスタイルを崩すことはありませんでした。 そんな蒸しカステラ風のちんすこうを今のスタイルに変えたのが 明治41年で、それまで蒸していたちんすこうを試しにレンガ釜で焼いてみたのが始まりだと言われています。 そんなわけで、今のスタイルのちんすこうの歴史はおよそ100年位と言うことになります。