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  • 沖縄そば

    沖縄そば

    「すば」、とか「うちなーすば」とも呼ばれます。
    蕎麦粉を使っていないため、日本の法律上の
    「そば」に該当しないと、本土復帰に伴い
    公正競争規約が適用され「そば」と表示できなく
    なってしまった為、苦肉の策として「沖縄そば」
    という呼び名が定着しました。

    各地の地方名を冠して「山原そば」「宮古そば」
    「八重山そば」「大東そば」など様々な名前も生まれてきています。現在では麺やスープ以外でも具や薬味などに地域の個性が主張されるものが多くなっています。「ソーキそば」「三枚肉そば」「軟骨ソーキそば」「ゆし豆腐そば」「てびち(豚足)そば」などなどいろいろです。

    守礼堂では、4種類の生沖縄そばをご用意しています。おいしい沖縄そばを一杯いかがでしょうか!

     

    生沖縄そば(3人前)

    生沖縄そば(3人前) 生麺・味付豚肉・液体スープ付 食品の中でも人気の沖縄そば。 生麺タイプでもちっとした食感。 沖縄の味をご家庭で味わえます。

     

     

     

     

    生沖縄そば(2人前)

    生沖縄そば(2人前) 生麺・そばだし付 食品の中でも人気の沖縄そば。 生麺タイプでもちっとした食感。 沖縄の味をご家庭で味わえます。

     

     

     

     

     

    生沖縄ソーキそば(3人前)

    生沖縄ソーキそば(3人前) 生麺・味付豚肉・液体スープ付 ソーキは豚肉のアバラ骨あたりのお肉で、スペアリブの事です。ソーキそばは、そのお肉をおいしく煮込んでおそばにのせたもので、そばメニューの代表格。

     

     

     

    生沖縄ソーキそば(2人前 だし付・味付豚肉入)

    生沖縄ソーキそば(2人前) 生麺・味付豚肉・だし付 ソーキは豚肉のアバラ骨あたりのお肉で、スペアリブの事です。
    ソーキそばは、そのお肉をおいしく煮込んでおそばにのせたもので、そばメニューの代表格。

     


  • ハブ酒(はぶしゅ)

    ハブを泡盛等に漬け込み、密封し、長期貯蔵したリキュールです。ハブ酒は、昔より滋養強壮のお酒として珍重されてきました。ハブ毒に含まれる良質のタンパク質やアミノ酸がアルコールに溶け出す為に薬効が生じると言われています。

    ハブは沖縄県および鹿児島県奄美諸島に棲息する猛毒を有するマムシ科のヘビの為、ハブ酒には泡盛や黒糖焼酎が使われています。

    ハブの臭みは内臓の内容物にあるといわれているため、ハブは1年程度絶食させ、身体をしごいて腹に残るものを搾り出し、洗ってから泡盛や黒糖酒に生きたまま漬けるのだそうです。(ハブは、1年絶食しても生きているんですね!)
    ハブの頭部を手で押さえ泡盛や黒糖酒を満たした瓶に尾から入れ、頭から手を離したらすばやく蓋をする(かなり危険なので)訳です。貯蔵熟成したハブは触れると形が崩れるので、ハブの入った製品は泡盛等に漬けて動かなくなってから取り出し、4~5リットル容量の瓶に蜷(とぐろ)をまいた形につめ、40度程の泡盛や黒糖酒を満たし密封すると、数年で赤褐色に色づいたところで市販されます。

    ※ハブの入った製品は、ハブの頭がお酒から出てしまうとそこから腐ってしまうので、追加用のハブ酒を購入し必ずハブの全身が、お酒の中に漬かっている状態を維持して下さい。

     

    琉球の酒 ハブ原酒(35度950ml)

    価格3,150円(税込) 

    100%ハブエキス入り。
    ハブ入り酒のつぎたし用にもご利用ください。

     

     


    はぶ酒(36度700ml)

    価格4,114円(税込) 

    ハブ酒造り元祖の八重泉酒造の100%ハブエキス入原酒。

     


     


  • シーサー

     シーサーは、沖縄県内でみられる伝説の獣の像。

    素焼きシーサー(伏)

    建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けとなっています。

    名前は「獅子(しし)」これが、なまり「シーサー」となりました。八重山諸島では「シーシー」と発音するところもあります。
    スフィンクスや中国の石獅(石獅子)、日本本土の狛犬などと同じく、源流は古代オリエントのライオンもしくは犬と伝えられていて、元々は単体で設置されていましたが、狛犬の様式の影響を受けて、阿吽像一対で置かれることが多くなりました。
    阿吽の違いにより雌雄の別があります。

    各戸の屋根の上に置かれるようになったのは明治以降で、それまでは寺社や城の門、御獄(うたき)、村落の出入り口等に設置されていました。

    材質は石や陶器(素焼きまたは本焼き)、漆喰(しっくい)による物が基本です。

    守礼堂では、手作り素焼きシーサーの他に、寿山石シーサー、琉球焼きシーサーなど大きな物から小さな物まで各種とり揃えています。手作りのため顔の表情や大きさ、焼き具合なども微妙に変わることがありますが、どれも陶芸の技術が光る手作り魔除けシーサーです。


  • フコイダン

    ガン細胞を死滅へと追い込む沖縄モズク由来多糖体の誕生! 

    日本一の長寿県は、「海の幸の宝庫」

     

    フコイダンは、“海からやって来た新しい抗ガン物質 ”なのです。1996年の第55回日本癌学会では、フコイダンの抗ガン作用は、抗ガン剤などとは異なる作用機序(作用の仕方)をするらしいこと、それは、ガン細胞を「自己崩壊=自殺(アポートシス)へ追い込む」と言う抗ガン作用である点も感心を呼び 、さらに、沖縄モズクから得られたフコイダンの抗ガン作用に関する研究発表も1998年に行われ、他に比して非常に純度の高いフコイダンが得られる事も明らかにされました。
    沖縄モズクは、琉球大学農学部生物資源科学科の分析でフコイダンの収量が3倍強も多い事がわかりました。 同じく琉球大学の研究によって沖縄モズクのフコイダンの化学組成は、全糖(67.2%)、ウロン酸(13.5%)、灰分(23.0%)、硫酸(11.9%)、水分(3.2%)、であること、またその構成糖の大部分は「L-フコース」で、他にわずかに含まれる「D-キシロース」とともに、フコイダンの有効作用の主軸を形成していると推定されています。
    また、コンブなどからフコイダンを調整しようとすると、ヌルヌル成分のアルギン酸などが混入して精製には相当の困難が伴うのですが、コンブに比して約5倍のフコイダンを含む沖縄モズクでは、その問題が容易に解決できることがわかりました。
    最先端医療が全力を傾注していながら、今なおガンは治癒率(治療後5年間再発しないもの)が60%程度だとされています。治療の主流である抗ガン剤や手術療法や放射線療法も含めこれまでの治療法は、いわばガン細胞を“他殺”によって排除しようとするもので、その“強引さ”が、患者に希望と一緒に苦痛をも与えてきました。
    そのような観点から見ると、不死身を誇るガン細胞に対して“自殺”するように仕向けるフコイダンの抗ガン作用は、苦痛や副作用がなく、患者のQOL (生活の質)を高める意味からも評価されるべきでしょう。

     海藻と言えばノリ・コンブ・ワカメ・モズク・ヒジキなどが美味しい食材として頭 に浮かんでくると思いますが、それだけではなく、カルシウムや沃素などのミネラルや ビタミンなどの栄養源として、更に近年では、ヌルヌル成分のアルギン酸(食物繊維) のコレステロール吸収抑制作用、ラミニン(糖タンパク質)の血圧降下作用なども注目されてきました。
    「海藻」は、海中に生えて胞子により繁殖する藻類(緑藻類・褐藻類・紅藻類に大別 されます)の事を言い、「海草」は、海岸近くの海中に生え、花を咲かせて種子で繁殖する植物(アマモ・イトモなど)の事を言います。
    この海藻から新しく見いだされ、ガンに対する“特別な効能”(有効作用)が認められた機能成分があります。
    それが、「フコイダン fucoidan 」と言う多糖体(化学的に は「フコース」を主構成糖として硫酸やウロン酸が結びついた物質)です。

     

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  • ちんすこう


    ‘ちんすこう’と言う名前の由来には2つ説があります。 ‘ちん’は「珍」、‘すこう’は「お菓子」という意味で、 「大変珍しい貴重なお菓子」 という意味であると言う説、 ‘ちん’は「金」、‘すこう’は「お菓子」で、「とても高価な お菓子」という意味であると言う説の2つです。 どちらにしても貴重だったということのようです。 ちんすこうは、はじめ琉球王朝の王侯貴族だけしか食べることができない宮廷菓子でした。 一般人が、食べることができるようなお菓子では なかったので「ちんすこう」と命名されました。

         

    大変珍しい貴重なお菓子       とても高価なお菓子

    歴史上”ちんすこう”は、15世紀頃登場します。 当時の琉球王朝は日中両属だったため、 琉球の国王が交代するたびに中国皇帝から国王として承認を受けるべく冊封使が送られていたそうです。 冊封使が琉球に初めて送られてきたのは、1396年の北山王の時、もしくは1404年の武寧王の時とも言われていますが、どちらかは分かっていません。 琉球王国最後の王となった尚泰まで、中国王朝が明から清に変わっても絶えることなく、約500年近くもの間、中国から冊封使が送られていました。 約400人近い団体でやって来て、4ヶ月~6ヶ月も琉球に滞在していたと言われています。 この冊封使には様々な専門家が随行し、その中に菓子職人も常に随行していたため、中国菓子の製法などが琉球に伝えられたと言われています。

     

    沖縄のお菓子は、確かに中国のお菓子にも似ています。 また、琉球は日本にも使節を送り、そこに琉球の菓子職人が随行しました。 日本菓子の製法を琉球に持ち帰り、中国菓子と日本菓子を融合をさせ、独自の琉球菓子を作り上げました。 当時のちんすこうは、今のスタイルとは全く異なるもので、ベースとなったのは祝事用の中国風蒸しカステラ 「チールンコウ」と言われています。 米の粉を蒸して砂糖とラードを加え、型に詰めて蒸し上げ作られていたそうです。 琉球王朝時代には、ちんすこうのこのスタイルを崩すことはありませんでした。 そんな蒸しカステラ風のちんすこうを今のスタイルに変えたのが 明治41年で、それまで蒸していたちんすこうを試しにレンガ釜で焼いてみたのが始まりだと言われています。 そんなわけで、今のスタイルのちんすこうの歴史はおよそ100年位と言うことになります。

     

     

    守礼堂のおすすめ「ちんすこう」
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